色を持たない 色を持たない 私達は 色を持たない

ふたつの宿木は睦み合い、遥か天空で小さな風に枝葉を揺らしている 揺れる葉をさらさらとかすれさせながら

「愛してる?」「愛してる。」何度も確かめるんだね。

今から話すことは話半分に聞いてくれ きっと君にとっての真実ではないからだ

 まっしろい朝陽の中に、夜は消えてしまう宿命なのよ 夜さん。寝ずの晩を明かした罪であなたは裁かれる 

ただ、破裂した肉体の、その塵に近い肉片に残された最後の意気地だけは、私のものである。

世界はこのように何度も壊されて春の訪れを告げた

全身を以て太陽を穿て 地に足裏をつけ臆することなく立っていろ お前の両脚は決して折れぬ巨木 大樹の放つ影は絶唱

始まる。終わる。無限に終わりと始まりがくりかえされる。たしかに銀河の果てまで届いてしまいそう。

生きれば生きるほど老獪になるように、我々は場合によっては複数の現実を作り上げることができる。

私は、これから生まれます。そして蝶になって、飛び去っていくのだと思います。

水の声掛けの目的は鏡への同情ではない。この水は鏡にちょっとした仲間意識を抱いていた。つまり友達が欲しかったのだ。

このように私は全てのものを仮留めします。そしてあなたは地中の生命を目撃し、地表を理解する。

きみはきみですか それとも「きみ」ですか わかるかな あんまり違いはないんだ

急速に浮かび上がる予兆が、黒く透明な予兆が、人々の四肢を叩きのめし、無数を叩きのめし、大勢を覆い尽くすのを目撃した。

 記述される生命 テキストで拾いきれないもの 文学の役目 external 宇宙 ブラックホール

 愛は削除されるデータの中に 住んでいる部屋の一角に 初めて見る景色の中に

未知とは、点であり線である。未知は現在の残像の中を縫って運命と呼ばれるものを描き、いっぽう逆に収束する。

 さて、あらゆるパラドックスは羊水にたゆたうあぶく。 

 理性とは一般に正気の世界を表象する。時に狂気の世界も。  

Violet Apple Machine最深部であり拠点のウェブサイト迄ご足労頂きましたこと、深く御礼申し上げます。


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以上

[The glass dark river flows fearfully the drops never forgive somatic tears Black represents infinity my melancholy has changed into the wings I'm waiting for the world to pass by at a tremendous speed I want your virtue to connivance Diving into the underwaters Flying Forward Flying Forward My orientation is downward washing out my illusions]


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Fuu(Violet Apple Machine)は「心の深層音楽」を掲げて活動する日本のDIYアーティスト。
心の奥に深く潜っていく極めて内省的、また時に酩酊感のある音楽性・歌詞が特徴。
音楽、詩、朗読、コーラス、ボーカル、アートワーク、アニメーションを一人で手掛けている。
作品からは日常生活で触れることのない深淵が垣間見える​。

湖上の光、我追う安らかに。
蘇芳と坐せる咲きこぼるる明けの梅。
地上にて水底の精は満ち満ちて。
我追う曙そらにひとり。

(ウェブサイト・アップデートログ)

「等身大の自分」で生きることはあらためて難しい。 埒があかない。この方向性ではダメだな……外に出る。 自分のことを考え続けるしかない。 音楽のことをしばらく考えたくない。 そうであれば、ナチュラルでオルタナティブな在り方を確立するのが最適解ですね。 となると対応するための指針となる思想をひとつ持っておいて、かつ「誤った方向」に見えている道が正しさのあるルートだって分かれば、大丈夫そうです。 偏在が可能性であるなら、可能性は満ちている。 あらゆる苛立ちから自由になるために、怒りをどこかにぶちまけなきゃいけない。 世界とは既視感なのでは、とすら思う。 歳を経ることに既視感が増えていって、いろいろなことに慣れていく。 因果応報は人間の発明なのかもしれない。あくまでも発明だ。 終いには全てが体験済みの事象になり、人生はつまらなくなる? 否そんなことはない。 いろいろなものを尊敬するありさま。 既視感を繰り返して人生経験のキャンバスを塗りつぶしていくことで、人は成熟していくのだろう。 既視感を味わい続けることで思考は高度になってゆくのでしょう。 次に取り組める人生上の課題がいま無い状態なんだ。 そして、既視感を体感し続ける事で、世界は遊び場(playground)になってゆくのです。 ああでもないこうでもないと一つも前に進んでないので「考えている」ではなく「悩んでいる」という言葉を使う。現在の最大のテーマである。 一つの在り方に染まる手法を私は採りたくない。 異なる価値観、相反する価値観が共存している。 肩書きは本質ではない。 善性の知覚は論理だけど、罪の知覚は感情に基づくものだから。 私が興味があるのは「結論」である。 ビギナーズラックの正体は新鮮さと制作経験の無さから成るものだと思う。 芸術は、誰もが触れられる魔術である。 人生、還元を重ねてくと結局は「ごっこ遊び」にたどり着く気はするな。 この4ヶ月くらいの無気力は、「ごっこ遊び」が出来なくて退屈になっていたのがあるかもしれない。 これは殴り書きであり、何かを掴むための思索の過程だ。よって私は断言していない。 人が沈思黙考するのはそうせざるを得ないからだ。 考えなくても生きていけるのならわざわざ考えないだろう。 つまり、考えることとは、ある種の人々のための、生存のための手段である。 知識をつける。 手動の何者かになる作業。面白い。 希望を安定か不安定かに分類するなら、不安定のカテゴリに収まるものだと思う。 安定している状態は希望からは遠い。 もっと言えば何かを欲し、その何かが手に入るかもしれないという焦燥と渇望が希望なんじゃないか。考える事は或る種の人々の為の生存の手段である。